金坂直仁さん、天国へ
【今回の記事は、パソ工房所属の仲間・ペンネーム:混むがお伝えします】わらしべの里創業者であり、前理事長である金坂直仁さんは令和6年(2024年)3月21日に逝去されました。89年の生涯でした。訃報がわらしべの里から3月22日朝に伝えられると、わらしべの家の仲間、支援員、保護者が週末を利用し葬祭場での弔問に訪れ、今までお世話になったお礼を伝えていました。葬儀・告別式は3月25日にしめやかに行われ、栃木市の障がい者福祉に携わっている方たちが参列され、別れを惜しまれました。
仲間たちとのお別れ会開かれる
金坂さんは、財団法人時代から生産活動をしてきた仲間や保護者から親しみを込めておじさんと慕われていました。仲間たちは、金坂さんを慕い居場所を見つけるために集まってきたのかもしれません。「葬式はしなくていい。仲間たちとのお別れ会を」と希望されていたようで、仲間たちとのお別れ会が6月7日午前10時から食堂兼集会場で行われました。混む自身、「あと数年、高齢者デイケア施設に通われる金坂さんと朝の挨拶を交わしたかったなあ」という思いと「先に逝かれた愛犬のチップ、仲間たちや保護者の皆さんにお会いになられましたか?昭和55年(1980年)4月にわらしべの里を作っていただき、ありがとうございました。平成12年(2000年)にわらしべの家の生産活動の中にPC事業を作っていただいたことにも重ねてお礼申し上げます。お酒を飲みつつ、ゆっくり休んでください」という思いで胸がいっぱいでした。
最後まで、福祉のこころを忘れない方でした
仲間たちからの寄せ書きときれいな花々にかこまれて、遺影の中の金坂さんは優しく微笑んでくれていました。仲間たちは、坂本九さんの「上を向いて歩こう」がBGMとして流れる中、祭壇に1本ずつ花を手向け、お別れをしました。遺影から、仲間や支援員ひとりひとりにメッセージを語りかけているようでした。
最期まで優しいお気持ちで、最後のご奉公
金坂さんは生前から仲間たちと保護者を前にすると「私が亡くなった後、この身体を学生たちが知識を深めるために献体として提供したい。最後のご奉公だよ」と話されていました。
献体とは自分の身体を死後、医学・歯学の大学で行われる解剖学実習に無償で提供することを指します。葬儀後近隣の大学病院に預けられた遺体は、医師や看護師を目指す学生たちが全身を詳細に観察し、解剖されるので遺族のもとには令和7年秋にお骨となってお帰りになるそうです。
これからも私たちを見守っていてください
最後は、遺影の周りに参加者たちが集まり、記念撮影をして別れを惜しみました。金坂直仁さんは財団法人わらしべの里から社会福祉法人わらしべの里へ変わる平成13年(2001年)に「わらしべの里は個人が作った障がい者施設から、社会に認められた障がい者施設となる。自らの手の中から離れてしまうような寂しさもあるけれど、社会のものになり、役立つのであれば、それはうれしいことだ」と話されていました。
これからも、みんながいきいきと働けるわらしべの里に通えるあいだは、私たちは働かせていただきます。空から見守っていてくださいね。長い間ありがとうございました。
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