法人沿革

昭和50年(1975年) 2月   「とちぎ子どもの家」を発足しボランティア活動を開始。
昭和52年(1977年) 4月「チビッコハウス」が完成。
昭和53年(1978年) 3月「つくしの会」が発足。
昭和54年(1979年)12月「社会福祉法人社会福祉事業研究開発基金」殿より50万円助成金を受ける。
昭和55年(1980年) 4月金坂の私財を基に「財団法人わらしべの里」を発足。同時に無認可施設として「障害者福祉作業所わらしべの家」を開所し利用者3名から事業を開始。
10月 STV札幌テレビ放送「サンデー九(故・坂本九さんがパーソナリティーの番組)」の取材を受け、坂本九さんご本人が来所され仲間達と交流する。
昭和59年(1984年)「財団法人日本宝くじ協会」殿より3,000万円の配分金を受け、耐火構造建築への施設立替工事を行う。(鉄骨コンクリート 一部プレハブ構造2階建)
平成13年(2001年)10月「社会福祉法人」の法人格を取得。
「知的障害者小規模通所授産施設わらしべの家」を開所。
平成14年(2002年) 5月施設改修工事実施(設備及び運営に関する基準対応工事)
平成14年(2002年)10月「知的障害者小規模通所授産施設」から「知的障害者授産施設」へ変更。(通所型・定員25名)
平成15年(2003年) 4月「知的障害者短期入所事業」及び、「児童短期入所事業」を開始。
(日中預かり・定員3名/日【両事業計】)
平成17年(2005年) 4月グループホーム「わらしべの宿」開所。(定員5名・主世話人1名・副世話人1名)
平成18年(2006年) 4月「わらしべの家第2作業所」改修。バイオディーゼル事業開始。定員30名へ変更。
平成18年(2006年) 9月短期入所事業終了。
平成18年(2006年)10月日中一時支援事業開始。
平成19年(2007年) 3月グループホーム「わらしべの宿」運営終了。
平成23年(2011年) 4月就労継続支援事業(B型)に移行する。(定員35名)
平成26年(2014年) 4月指定特定相談支援事業所わらしべの家を開設。
平成30年(2018年)10月生活介護事業(定員14名)を新たに開設。
就労継続支援事業B型の定員35名を定員20名へと変更し、多機能型事業所となる。
令和5年(2023年) 4月共同生活援助事業所わらしべの家を開設(定員7名)
令和5年(2023年) 4月生活介護事業の定員を10名に変更。
就労継続支援事業B型の定員を24名に変更。

わらしべの里~名前の由来~

 昭和51年(1976年)1月当時、栃木県社会福祉協議会に勤務し地域福祉を担当していた創設者 金坂直仁が、自宅の庭先に地域の協力を得て『とちぎ子どもの家』というボランティアによる組織活動を開始しました。
 休日ごとに多くの人々が集い、障害のある・なしに関係無く、また、老若男女を問わず多くの人々の憩いの場や地域の人々の交流の場となるための活動を開始しました。このためのプレハブの建物の基礎工事には、近所の父親10名ほどが協力して施工して頂きました。
 金坂の『地域の子どもと遊びの文化活動を』という声に対し、多くの若いボランティア(地元の大学生や医科大学の医学生、看護学生など)が子ども達のお兄さん、お姉さん役となり一緒に遊んでいました。また、子どもたちの家族と共に2泊3日のキャンプやハイキングを行うなどアウトドア活動も盛んでした。
 在宅障害者支援活動として“障害者福祉作業所”の運営を行うため、昭和54年(1979年)4月に『財団法人わらしべの里』を創設しました。“土地無し金無し”の中からのスタートでしたが「いずれはみんなが幸せに!」という熱い想いを実現させるべく、“たとえ小さな活動でも、コツコツと地道に人々のために働くことにより、いずれは皆が幸せになれればいい”という考えから、法人の名称を『わらしべの里』とし、障害者福祉作業所の名称を『わらしべの家』と付けました。

 この『わらしべの里』という名前は、日本の民話『わらしべ長者』からもらったものです。このおとぎ話は、1200年も前の「今昔物語」にある仏教説話のひとつだったとのことです。
 こうして、『財団法人(現:社会福祉法人)わらしべの里』、『障害者福祉作業所(現:多機能型事業所)わらしべの家』が生まれました。